矢沢永吉 野外スペシャルライブ
TONIGHT THE NIGHT!
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EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1999 LOTTA GOOD TIME

    ハルパパも泣いた夜〜矢沢永吉in新横浜国際総合競技場〜ライブレポート

    皆さん、こんにちは。実は矢沢も好きだったハルママです。いや別に隠してたわけじゃありませんが。ハルパパというディープなファンを差し置いて、矢沢のファンだなんて軽々しく言えなかったもんだから。このレポートも本来ハルパパが書く予定だったのですが、感動しすぎて「言葉にすると嘘になる」とかわけわからんことを言ってるので、結局私が書くことになりました。・・・・と思ったら、ちゃっっかりハルパパもレポ書いてました。夫婦競合レポ。何やってんだか、2人して。

    しかし私自身も、ハルパパと出会う前から矢沢のアルバム3枚ほど持ってたし、大学時代昼休みにやってた校内放送のDJでは、矢沢の「LOCKIN’MY HEART」をオープニングに使ってた、という程度のファンではあります。グッズは集めてないけど。その後聴いたり聴かなかったりした時期を経て、結婚した頃から年に1、2回、ハルパパと共にライブに足を運ぶのが恒例になりました。そういえば妊娠中も、宮古島ツアーはお休みしたけど、矢沢ライブは行ったな。ってなことを頭に置いた上でお読みください。

    10月15日、敬老の日(笑)。きわめて小さい台風(ってどんなだ)16号が日本を縦断しつつあったこの日、もうひとつの嵐が横浜に巻き起ころうとしていました。そう、矢沢永吉コンサートツアー99「LOTTA GOODTIME」in新横浜国際総合競技場。9月に秋田県民会館を皮切りに始まったこのツアーの中でも、この日はウルトラスーパースペシャルなライブでした。台風の中の野外ライブというだけでも十分“伝説のライブ”の 予感がする上に、前日は矢沢50回目の誕生日。イヤが上にも盛り上がります。「TONIGHT THE NIGHT」と題されたこの日のライブは、全国から結集した矢沢ファン5万人が、矢沢の誕生日を共に祝おうというもの。サブタイトルは「ありがとうが爆発する夜」。「成り上がり」の生みの親、かの糸井重里氏の名コピーです。しかし誕生日だからといって、貢ぎ物をする人がはいないのも、また矢沢ならでは。たれぱんだのぬいぐるみだの超合金だのあげた日には思い切り蹴飛ばされそうだし、第一近所のタバコ屋にキャデラックで行く人に、いったい何を贈ったらいいんでしょう。これほど贈り物に困る人もいません。

    ハルパパと私が会場に着いたのは午後6時。開演30分前です。始まっちゃうんじゃないかとそわそわする私を尻目に「俺が席に着かないうちは始まらないぜ」とハルパパ。早くも永ちゃんが降りてきてます。乗り換えを間違えて横浜まで行ってしまった私たちは、そこで腹ごしらえをして、面倒臭くなったのでタクシーに乗ったのですが、普段なら15分で着くはずが45分もかかるという大渋滞。
    「きっと矢沢の顔をペイントしたクルマで会場の周りを走り回ってるヤツとかいるからだよね」
    「いるいる。朝からラジカセがんがんかけて歌ってるヤツとか」
    「踊ってるヤツとか」
    「タオル投げの練習してるヤツとか」
    「声出しの練習してるヤツとか」
    「着替えてるヤツとか」
    「あー、いるいる」
    などという会話を交しながら、やっと到着。本当にいました。声出しの練習してるヤツ。しかもすでに声が枯れてる(笑)。

    開場から開演まで2時間もあるというのは、屋外のライブでも珍しいような気がするのですが。あまり他の野外ライブに行ったことがないのでよくわかりません。「矢沢のファン、協調性のないヤツが多いからに違いない」と言ったら「それは偏見だ」とハルパパにたしなめられました。でも絶対そうだと思うな。あとこの日のライブは矢沢にしては箱が大きかったので、全国的にかなり動員かけられてるはず。ヘタすると「家族や友達を最低1人は同行すること」ぐらいのお達しは出てたかも。高校生の男の子とおばあちゃんとか、どう見てもバリバリの矢沢ファンとどう見てもフツーのOLとか、ヘンな取り合わせの2人連れが多かったもの。そんな有象無象の集まりですから、2時間ぐらい見とかなきゃいかんと主催者も思ったのでしょう。

    私たちが会場に着いたときには、予想通り観客はすでにかなりのボルテージ。グッズを販売してる売店は、あまりに多くの人が殺到して収集つかなくなったために、一時販売を停止していました。開演前にタオルが買えなくて泣いた人、いただろうなあ。・・・・とタオルの話題が出たところで、「矢沢ライブにおけるタオルの役割」について簡単に触れておきましょう。

    さだまさしのペンライト、徳永英明の紙飛行機のように、アーティストによってライブのお約束アイテムというのがあるものですが、矢沢の場合はこれがタオルなんですね。赤、黒、黄色などを基調にした大判のスポーツタオルやバスタオル。毎年ツアーのたびに新しいデザインのものが発売され、ファンはそのタオルを肩に掛けて会場に向かいます。駅から会場までの行き方がわからないときも、タオル掛けてる人の後をついていけば間違いないので楽ちん。ちなみに私は持っていませんが、ハルパパは去年ついに買いました。

    で、これをどう使うかというと「TRAVELIN’BUS」とか「止まらない〜HA!HA!」とかノリノリの曲で、一斉に投げ上げるんですね。照明に照らし出された無数のタオルの舞。そりゃあもう美しいです。プロのファン(ってなんだよ)は投げ方も上手で、真上に投げてすんなりキャッチするのですが、素人さんは前に飛ばしてしまったりしてオタオタします。ちなみにハルパパ前の席の人の足元まで飛ばしてました。ど素人(笑)。

    ここまで書いてるところでハルパパに盗み見られ、「コンサート始まるまでにこの字数!開演前レポートにすれば?」と突っ込まれてしまいました。余計なお世話。これがオレ流なんだからさ。って、実はライブの中身になると「すごかった〜!」とか「矢沢バリバリ!」とかそんなことしか言えない気がして、こんなにダラダラと前置きを書いてるわけです。ははは。

    矢沢のライブは客層の幅の広さでも有名です。・・・・とまだ続く前置き(笑)。ライブ翌日の新聞には20代〜60代と書いてありましたが、私が見たところ10代は確実にいるし、70代とおぼしき人もちらほら。ファッションも実に多様で「この人がホントに矢沢のファンなのか?」と思うほど地味めのフツーの人から、見るからに、のバリバリファンまで、実に多彩です。ちなみにバリバリ系の代表的なスタイルは、素肌にスーツ、ソフト帽に肩タオル、足元はスリップオン。ヘアスタイルは当然がちがちに固めたリーゼントです。矢沢自身はすでにリーゼントしない(できない?)のに、なぜかファンはいつまでもリーゼント。やはりグッズとして販売されている、矢沢オリジナルのスタイリングウェット(グリース)で固めるのでしょうか。スーツにスリップオン、初めて見たときは、みんなスーツ買うのにお金使い果たして、靴まで回らなかったのかと思いましたが(そーゆーカッコしてるのは大抵10代のファンなもんで)、そうじゃないんですね。矢沢自身がステージで走り回るためにスーツ着てもスリップオンはくんです。ドリフといっしょ(笑)。でもかかと踏んではくのはよせよ、黄色いスーツのキミキミ。

    さらにディープな人は、スーツの背中に矢沢のロゴが刺繍されてたりします。帰りがけに60〜70代でこのカッコしてる方を見かけましたが(帽子はパナマ帽だったけど)、板についてて非常にかっこよかったです。電車の中で見かけたら、ただのヘンなじいさんですが(笑)。ファン心理は皆共通だと思いますが、矢沢ファンは特に本人にどれだけ近づくかに命賭けてる人が多いようで、たとえばツアーが始まる前に新譜のジャケ写とか雑誌やテレビのインタビューなどをチェックして、ライブでしそうなカッコに山張って来る人もいます。去年だったか一昨年だったかのライブで、私たちの後ろに黒い皮のキャップをかぶった若い男の子がいたのですが、永ちゃんが黒い皮のハンチングをかぶってステージに登場したとき「やられたよ!キャップじゃなくてハンチングかよ〜!!」と七転八倒していたのを思い出します。惜しかったね、お兄ちゃん。

    女性ファンのバリバリ系は、矢沢ハッピ、もしくはお水スタイル。ハッピ系の人はタオル持ってますが、お水系の人はタオル持ってない人が多いです。でもヴィトンのボストンとかに隠し持ってるのかもしれません。どちらも茶髪にばっちりメイクはお約束ですが、お水系はタイトミニのスーツ、あるいは深いスリットが入ったロンタイ。チャイナドレスという人もいます。「SOMEBODY'S NIGHT」がヒットしたときのライブは、会場中がポワゾン臭くなって大変でした。そうでなくてもグリースと厚化粧の臭いがすごいのに。

    ちなみにハルパパは、ジーンスにナイキのスニーカー、グレー系のアロハ、サングラス、肩タオルがけ。ただしタオルは、電車の中では私がロゴが見えないほど小さくたたんでましたが(笑)。頭は当然リーゼントです。宮古島から伸ばしてる無精ひげも、実はこの日のためのものだったのかも。私もひと昔前は矢沢ライブでしかはかない一張羅のタイトミニを持っていたのですが、今となってはとてもはけません。それでも去年までは「もしかしたらまたはけるときが来るかも」と未練がましく持ってたのですが、この夏の衣替えでついに捨てました(涙)。当日はカーキのパンツに茶のショートブーツ、えんじのアロハもどきに黒のリュックと、普段となんら変わらないスタイル。それでもどこかでいつもと変わったことしたくて、苦し紛れに口紅にシルバーのアイシャドーを乗せてみました。これがけっこうイケるじゃんと本人大満足。ハルパパも「あ、いいじゃん、いいじゃん」と言ってくれましたが、顔を見ないで言ってたのをちゃんとチェックしました(笑)。ま、いいのよ。今日はあなたじゃなく永ちゃんのためのメイクだからね。

    といいつつ、席に着いてがっくり。舞台は遥か彼方で、永ちゃん米粒。まさに「アリよさらば」状態です。これじゃあ黄緑色の髪しててもステージからは見えなかったでしょう。って、見てもらうつもりだったんかい<自分。ま、矢沢のライブの場合、同じ場所の空気を吸うことに意義があるので、座席なんてどうでもいいんですけどね。さらに周囲を見回すと、なぜか私たちの回り50人ぐらいが全員アダルトチーム。年齢で席分けたのかと思った。唯一私の隣にいた1人で来ていた男の子が20代前半かな、という感じだったのですが、こいつも地味め。・・・・と思ったら、この人、実はプロでした。タオルの投げ方から、コールのタイミングから、コールするとき振り上げる手の手首の返し方から、基本がばっちりできてました。人は見かけによらないもんです。

    そうこうしているうちに、開演予定の6時半。しかしまだ幕は開かず。会場の永ちゃんコールも一段と盛り上がります。この永ちゃんコールというのも独特のもので、先「永ちゃん!」後「永ちゃん!」と会場内が自然に先攻・後攻に分かれて、交互に叫ぶんです。中央で聴いてるとステレオ状態。前出の“声出し”というのは、このときのためのものです。開演前は会場のあちこちでこの永ちゃんコール合戦が起こりますが、これは曲の間奏でも見られます。

    永ちゃんコールが最高潮に達した午後6時40分、静かに音楽が流れ、舞台両サイドの3階スタンドにキャンドルライトの列が現れました。バースデーライブならではの厳粛で美しい光景。と同時に「うぉぉぉぉ〜!」地響きのような歓声が場内を包み、ついに伝説のライブ(って始まる前からすでに決まってる)の幕開けです。は〜、やっと始まった。

    のっけからギターを持って登場した永ちゃん、MCなしで立て続けに新しめの曲を4曲歌います。舞台はヨーロッパの劇場のようなクラシカルな雰囲気に、メタリックな素材を組み合わせた「オトナじゃ〜ん」て感じのシンプルで洗練されたセット。中央に3台、左右に1台ずつ、計5台の特大モニターには、絶妙なスイッチングによって、永ちゃんの顔、足元、手元のアップなどと、観客席が交互に映し出されます。

    そして最初のMC「昨日で50歳になっちまったぜ〜!」会場またまた「うぉぉぉぉ〜!」。「おめでと〜!」の声があちこちから飛びます。舞台に花束投げる人とか、ひとりぐらいいてもいいのにと思いましたが、いませんでしたね。

    永ちゃんのライブのMCというのは、だいたいいつもベタなものなんですが、この日はホントにベタベタ。若い頃の自分の映像見て「若いぜ〜!」。途中から雨が降ってきたときは「雨が降ってきたぜ〜!!」。そのまんまやんけ。でもいいんです、永ちゃんだから。何言っても「うぉぉぉ〜!!」です。

    それにこの日の永ちゃんは、スタートからめちゃくちゃゴキゲン。のっけからハイテンションもいつものことですが、やはり「50になってもケツ振って歌っていたい」と言った望みがかなったのがうれしいのか、本当にうれしそう。手首もいつもより多めに振れてます(笑)。

    最初に新曲やったあとは、矢沢ヒストリーを振り返って古めの曲から順々にやるかなとも思ったのですが、そうでもありませんでした。新譜は3分の2ぐらい歌ったでしょうか。その辺は、やはりスペシャルデーといってもツアーの一環という構成です。

    でも、やはりスペシャルなできごとは起こりました。生涯忘れられないだろうと思う名場面が2つ。1つは25年以上も前の日比谷野音ライブを振り返ってのコーナー。今見るとそうそうたるメンバーが揃っていたのですが、なんとそのフルメンバーが、この日ゲストで登場。しかも思い出の曲、たった1曲を歌うためだけに駆け付けたのです。メンバーは、後藤次利、高橋幸宏、今井裕、高中正義、相沢行夫、木原敏雄。アダルトチーム、俄然盛り上がります。これだけのメンバーを、たった1曲のために新横浜に集めてしまうヤツ。矢沢=ビッグの片鱗が見えます。だって半年ぐらい前からスケジュール押えないと、日本にいるかどうかもあやしい人たちばかりだもの。

    そしてもう1つの名場面は、日比谷野音再現ステージの直後「I LOVE YOU OK」を歌ってる途中のことです。突然声が出なくなったので「あれ、歌詞忘れたか?」と思ったら、モニターにパーンと映し出された矢沢のアップ。な・な・なんと、矢沢泣いてる〜〜!顔を上に向け、途中から振り出した雨に洗われながら、それでもしっかり見えました、矢沢の涙。うぅ〜〜。5万人のうち4万8000人ぐらいは間違いなくもらい泣きしたでしょう。この日会場に来ていたと思われる徳光さんも、号泣したに違いありません。もちろん、ハルパパも私も泣きました。もともと“泣き”には弱い私ですが、矢沢の涙となったら、もう別格です。初めて見た、ライブで泣く矢沢。万感胸に迫る、とはこのことです。10代でデビューしてから30年以上、日本のロックシーンを走り続けてきた男。その胸中に、いったいどんな想いが去来していたのでしょう。

    その直後のMCでは「まだまだ走り続けるぜ〜っ!」という矢沢の一声に、会場爆発。もー、こうなったら60でも70でも、とことん走り続けてくれー。そしてライブの途中でマイクターンしてバッタリ、ってのが矢沢らしい最期だぜ。そのときは私が看取ってやるから、安心して突っ走ってくれ〜。

    アンコールではお約束のタオル投げナンバー2曲連続で、会場ももう思い残すことはないというエンディン グ。いやー、よかったー。矢沢のライブ、いつもいいけど、やっぱりこの日は特別でした。

    って、おいおい、もう終わりかよ<自分。前置きの半分もないぞ。いや、白状すると、矢沢の曲、曲とタイトルがほとんど結びつかないので、内容については詳細にレポートできないんですね。曲は聴けば全部知ってるんですが、すべて「矢沢の曲」としてひとまとめに頭の中にインプットされてるもんで(笑)。

    ハルパパ&ママのレポート読んで矢沢に興味を持たれた方、今、糸井重里氏のHP「ほぼ日刊イトイ新聞」で、このライブに関連したスペシャルなプログラムが掲載されています。お暇があったらぜひご一読を。

    最期になったけど、この場を借りてハルパパにお願い。いっしょに歌口ずさむのはいいけど、ちゃんと歌詞覚えてからにしろよなーっ!

    ではでは。ご拝読ありがとうございました。




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